自律性は「与える」ものでもある — 『人を伸ばす力』に学ぶ内発的動機付けの育て方
自分の内発的動機付けを、自分の中だけで探そうとしていました。何にワクワクするのか、何を心から面白いと感じるのか。静かに自分を見つめ直せば、いずれ見つかるはずだと思っていたのです。
『人を伸ばす力 内発と自律のすすめ』を読んで、その前提が少しだけ崩れました。E. L. デシと R. フラストが説くのは、人には「社会から影響を受ける側面」と「社会に影響を与える側面」の両方があるという視点です。内発的動機付けは、自分一人の内側だけで完結する話ではなく、周囲との関係の中で育ったり損なわれたりするものだったのです。
統制的な場でも、自分は無力ではない
統制的な空気が強い職場やチームにいると、自分の内発的動機付けを守ることすら難しく感じることがあります。上からの評価や締め切りに追われ、「やらされている」感覚だけが積み重なっていく。私にも、そういう時期がありました。
けれど本書は、そこで立ち止まらせてくれませんでした。自分のふるまいや関わり方によって、周囲の態度や空気にわずかでも影響を与えられるのだとしたら、統制的な場にいても、できることはまだ残っている。この一文に、少し救われるような気持ちになりました。無力に見える立場でも、誰かの自律性を支える側に回ることはできるのです。
内発的動機付けは「探すもの」ではなく「育つ環境をつくるもの」
この本を読んで感じたのは、内発的動機付けとは、自分の中にある純粋な気持ちを探すことだけでは足りないということでした。もう一つ必要なのは、その気持ちが育ちやすい関係や環境に目を向けることです。
どれだけ自分の内側を掘り下げても、周囲の関わり方が自律性や有能感を削り取っていく環境では、内発的動機付けは長く続きません。逆に言えば、環境を少しでも整えられれば、動機付けは自然と育ちやすくなる。探索の対象を自分の内面だけに限定していたことに、読みながら気づかされました。
自分もまた、誰かの自律性を損なう側になり得る
本書でもう一つ突きつけられたのは、自分自身もまた、誰かの自律性や有能感を損なう側にも、支える側にもなりうるという事実です。
「自分は統制される側だ」という認識は持ちやすくても、「自分が誰かを統制している側かもしれない」という視点は、意識しないと抜け落ちます。後輩への一言、チームメンバーへのフィードバックの仕方、家族への接し方——そのすべてに、相手の自律性を尊重する関わり方と、無意識に統制してしまう関わり方の両方があり得るのだと気づかされました。社会化の担い手は、遠いどこかの誰かではなく、自分自身でもあったのです。
相手を操作対象ではなく、能動的な存在として見る
では、自律性を支えたり有能感を育てたりするには、何か特別な理論を実践する必要があるのでしょうか。本書を読んで私が受け取ったのは、もっとシンプルな出発点でした。相手を操作対象ではなく、一人の能動的な存在として見ることです。
これは、マネージャの仕事は「答え」ではなく「問い」だったで書いた、相手のこだわりに好奇心を向ける姿勢とも重なります。相手を動かすための問いではなく、相手の中にすでにある意志や関心を引き出すための問い。その違いを分けているのは、テクニックではなく、相手をどう見ているかという一点なのだと思います。
さいごに
『人を伸ばす力』を読む前の私は、内発的動機付けを「自分の中で見つけるもの」だと捉えていました。読み終えたいまは、それだけでなく、自分の関わり方や周囲の環境そのものが、動機付けの育つ土壌になるのだと考えています。
歯磨きのように仕組みで成果を出す考え方を書いたときの私は、モチベーションを個人の内側の問題として扱っていました。今は、その仕組みをつくる関わり方自体が、誰かの内発的動機付けを支えもすれば損ないもする、ということを付け加えたい気持ちです。
自分のやりたいことを探すことと同じくらい、それが育ちやすい関わり方や仕組みとは何かを、これからもう少し丁寧に考えていきたいと思っています。
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