「私を守ってくれるのは、私だけ」— 『嫌われる勇気』が背中を押した覚悟の話

「途中であきらめるくらいなら、最初から始めない」

個人開発に手をつけ始めた頃、深夜にコードを書きながら、ふと自分に問い返した瞬間があります。

——これ、本当にやり遂げる気はあるのか。

そのとき自分の中から返ってきた答えが、いまも頭の真ん中に残っています。

「途中であきらめるくらいなら、最初から始めなければよかった」

少し過激な響きかもしれません。でも、転職活動も個人開発も、想像以上に負荷がかかります。それを承知の上で選んだのか だけが、後の自分を支える一本の柱になる——そう思ったのです。

今日からの3記事で扱うのは、岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気』。私にとってバイブルといえるこの本が、この姿勢の背骨を作ってくれました。第1回は、本書の核となる 目的論 の話を、自分の体験とともに書きます。

学生の頃の私は、ずっと「周りの目」を気にしていた

学生の頃の私は、人からどう見られるかを、かなり気にしていました。

「ちゃんとした人」と見られるためにどう振る舞うか。誰かに変に思われない言葉選び。波風を立てない態度——いま振り返ると、自分という人間を 薄めて 提示していたな、と感じます。

ある時期から、その態度が変わりました。きっかけは、ひとつの気づきです。

「私を評価するのは他者だ。私が良い方向にどう動いても、必ず良い評価につながるわけじゃない。だから、評価を期待することそのものが、間違っている」

評価を「もらいに行く」のを諦めた瞬間に、私はようやく 自分を表に出して構わない という許可を自分に出せました。

(この「評価は他者の課題」は、本書では 課題の分離 という別概念で扱われています。明日の第2回で深く書きます)

「あの過去のせいで」ではなく、「私はいま、何を選んでいるか」

『嫌われる勇気』の中心にあるのが、目的論(Teleology) という考え方です。

過去の原因が、いまの感情や行動を決めているのではない。 いまの目的のために、私たちは過去の出来事を「原因」として利用している。

意地悪に聞こえます。「あの出来事のせいでこうなった」と感じるとき、本書は「いまの自分が変わらないために、過去の出来事を必要としている」のだ、と言うからです。

私が転職活動と個人開発に踏み出したとき、頭の中で何度も同じ言い訳が出かけました。

  • 「いまの仕事が忙しいから、勉強する余裕がない」
  • 「前職での経験があるから、無理して動く必要はない」
  • 「あの上司に否定されたから、自分は新しいことを言えない」

どれも文章としては成立します。でも本書を読み返すたびに、これらは 「変わらないことを選んでいる自分」を守る道具 だと気づかされました。動かせるのは過去ではなく、いま、ここで自分が何を選ぶか だけです。

「私を守ってくれるのは、私だけ」というスタンスにたどり着いた

転職活動・個人開発を通じて、自分の中ではっきり言語化できた信念があります。少し過激なのは承知です。

私を守ってくれるのは、私だけ。

たとえば、会社の評価で 筋の通った説明のないまま 不当に低い扱いを受けたとします。 昔の私であれば「説明させてください」「もう一度評価してください」と異議申し立てをしたかもしれません。いまの私は、ほとんどの場合、それをしません。静かに、次の場所の準備を始めます

念のため補足しておくと、これは「評価が高くなければすぐ辞める」という話ではありません。 納得できる理由が示されている評価であれば、たとえ自分の見立てとずれていても受け止めます。視座の違いや前提情報の差は、当然あって良いものだからです。私が動くのは、評価に対する 説明や対話の余地そのものがなく、こちらからどう働きかけても扱いが変わらないと判断したときに限ります。

恨みでも諦めでもありません。評価は他者の課題 で、その課題自体は私には動かせないと分かっているからです。私の課題は、ここに留まるか別の場所に移るかを 自分で選ぶ ことだけ。

逆に、思いがけず昇格をいただいたこともあります。これも根本は同じで、他者の課題の結果として、たまたま自分に良い影響があった だけ。 評価という他者の課題に振り回されないと決めると、世界はかなり静かになり、その静けさのなかで 自分のために何を選ぶか だけに集中できるようになります。

あなたは、いまのあなたであることを選んでいる

本書の対話編に、こんな一節があります。

「あなたは、いまのあなたであることを選んでいる」

最初に読んだときは反発しました。「いやいや、選んでない、状況がそうさせているんだ」と。

転職活動と個人開発という2つの大きな選択を経たあとで読み返すと、この一文の重みは違って届きました。確かに私はいま 何かを選んでいる。ここに留まることも、別の場所に移ることも、ブログを書くことも、書かないことも、全部。その結末は誰のせいでもなく、私のところに返ってきます。

しんどい考え方です。でも同時に、人生の手綱を自分の手元に取り戻す哲学 でもあります。

チームでも、自分自身に問う

メンバーから「〇〇のせいで動けない」という言葉が出てきたとき、私は責めずに、静かにこう問います。

「いま、変わらないことを選んでいる側面もある? もしそうなら、それは何を守ろうとしてる?」

突き放すための問いではなく、選択の手綱を本人の手元に戻すための問い です。 同じ問いを、私は自分にも向け続けています。ブログを書くか書かないか、挑戦するかしないか、誰かに本音を伝えるか飲み込むか——どれも、私が、いま、ここで、選んでいる。

それを引き受けた瞬間に「私を守ってくれるのは、私だけ」は過激なものではなくなります。むしろ、いちばん静かで、いちばん誠実な生き方の形をしています。

まとめ

  • 『嫌われる勇気』は、過去のせいにする 原因論 を否定し、目的論 で読み直すことを勧める
  • 「あの上司のせいで」「あの忙しさのせいで」は、いま変わらないことを選んでいる自分を守る 道具
  • 評価という他者の課題を諦めた瞬間、自分を表に出せる許可が下りる
  • 私を守ってくれるのは、私だけ」は、過激ではなく、自分の人生の手綱を自分の手元に戻すスタンス
  • メンバーにも、自分にも、「いま、何を選んでいる?」と問い続ける

明日は、今日触れた 「他者の評価は他者の課題」 をいちばん深く掘った概念、本書の中でもっとも有名な 「課題の分離」 に踏み込みます。「評価を期待しなくなる」ということが、現場でどう機能しているのかを書きます。

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