高校生の私は「納得」を、今の私は「貢献」を読んでいた — 『嫌われる勇気』の10年越しの再読

『嫌われる勇気』を、高校2年生のときに一度読んでいます。それから約10年が経ち、今回は読書記録アプリミチナリを使いながら読み直しました。読み終えて一番驚いたのは、同じ本なのに、心に残った場所がまったく違っていたことです。

高校生の私は「納得」を受け取っていた

当時の私は、他者から期待される道を進み、評価や賞賛を得るために動いていました。そこで出会ったのが「課題の分離」です。自分が変えられる範囲、たとえばどの大学に進学するかに集中し、変えられない範囲、たとえば親がその大学をどう評価するかからは目を離す。そうした結果、自分で能動的に選んだ道だからこそ、どんな結果でも納得できた。

当時の読書は、自分の選択をどう引き受けるかという問いへの答えでした。

今の私は「貢献」に引き戻された

再読で一番響いたのは、自己受容・他者信頼・他者貢献を経て到達する、共同体感覚と所属感による幸福です。中でも他者貢献について、強く考えさせられました。

私は普段から、他者との比較ではなく、過去の自分との比較をしてきました。1年前の自分より今日の自分、今日の自分より1年後の自分。その積み重ねが今の自分をつくっているのではないか、と読みながら感じました。

また、大富豪でさえ働き続ける理由は、他者貢献を通じて所属感を確かめ続けているからだという一節に、大きく頷きました。この考え方は、本書以外の本でも語られていました。別の場所で同じ結論に出会ったことで、「この考え方は間違っていない」と確かめられた気がします。

課題の分離だけでは、足りなかった

課題の分離を実践して、私は他人の課題に踏み込まないようになりました。これは自由を取り戻すために必要でした。

ただ、再読で気づいたのは、「他人を動かすことをやめる」ことと「他人に関わることをやめる」は違うということです。前者は消耗から抜け出すための整理で、後者まで進めてしまうと、関係は細っていきます。本書が描く共同体感覚は、目の前の他者を仲間とみなし、そこに自分の居場所があると感じられる状態です。そして所属感は誰かに与えられるものではなく、共同体に関わり、役に立てているという貢献感によって手に入れるものだ、と書かれています。

課題の分離が「自分の舵を取り戻す」ためのものだとすれば、他者貢献は「その舵で、誰とどこへ進むか」を考えるためのものなのだと思います。

リーダーとして、貢献を仕組みにする

私は2チームを統括するリーダーとして働いています。他者信頼も大切ですが、今回特に大切にしたいと感じたのは他者貢献です。現場の人たちを大切にし、その声を仕組みに反映していきたい。

以前交換可能な道具と見ていた自分について書いたときも、同じ方向を向いていました。人を「目的のための道具」として見ない。そのうえで、貢献は相手の期待に応えることではなく、現場の声を仕組みに届けることとして捉え直せた、というのが今の実感です。

「同じ本」が違う本になる

高校生の私は、課題の分離によって、自分の人生の舵を取り戻しました。今の私は、他者貢献によって、他者の中に自分の居場所を見つけようとしています。どちらも本の一部です。

本が変わったのではなく、読む私が変わった。そして、その変化を映す鏡として、同じ本を読み返す価値があるのだと思います。

おわりに

『嫌われる勇気』は、一度受け取って終わる本ではありませんでした。「自分の課題に集中する」という姿勢は、いまは誰かのためにどう使うかを問われている気がします。次に読むときは、また違う一行に引っかかるのだと思います。

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